核の事故は隠ぺいの歴史「ウラル惨事」

  • 2011/09/02(金) 16:32:39

タイトルは今日の東京新聞24面記事の見出しから書き、新聞記事を参考に調べた結果を以下に書く。

原子力発電所は原爆技術を元に出発した。従って、数少ない原発事故より前に数多くの原爆製造のための工場で大事故は起きていた。しかし、ほとんどの事故は隠ぺいされたので知られていなかった。
ウラル惨事とは1957年旧ソ連のウラル地方で起きたのでこう呼ばれる。
軍事用プルトニウム生産工場から出された放射性廃棄物のタンクの爆発によって起きた。
放射性廃棄物は絶えず生じる核分裂反応により高温となるため、冷却装置を稼働させ安全を保つ必要がある。1957年9月29日肝腎の冷却装置が故障し、タンク内の温度は急上昇して爆発が生じた。中にあった70〜80トンの高レベル廃棄物が爆発の勢いで上空1000メートルまで舞い上がって風下の北東に流れ、広範な地域を汚染した。 
プルトニウムを含む2百万キュリー(因みにチェルノブイリでは5千万キュリー)の放射性物質が飛散し、放射性物質の大量貯蔵に伴う事故の危険性を知らせた事故だった。
住民は事故直後強制退去させられ、村には火が放たれ、30の村は地図上からも消され、今なお汚染地域200平方キロメータが閉鎖されたままである。

核開発でソ連をリードする米国の中央情報局(CIA)は、1959年この事故を知ったが、1957年に英国セラフィールドでの軍事用原子炉の大事故や米国内の核工場での事故などもあり、自国の核開発の足かせになることを心配した米政府も秘密を保ったので世に知られなかった。

この事故は、西側に亡命した科学者J.A.メドベージェフが、1976年英科学誌に 論文を掲載することにより明らかになった。 
この告発があった時、ソ連は真っ向から否定したし、また原子力を推進する立場の人々もこのような事故はあり得ず、これは 単なる作り話であると主張した。
  
地域住民に放射能汚染が正式に知らされたのは ロシア発足後の1992年前後であり、対策は後手に回り被害を拡大させる一因となった。

医療記録などあればプルトニウムやストロンチウム(近くの湖が干し上がった時溶けていたストロンチウムが表層に残り、それが舞いあがり拡散した)の被害に関するデータが得られると思ったが、住民や医師も放射線被曝という事実を知らされていない状況では診療記録など期待できない。

奇形とか様々な障害が非汚染地区より多いことは村人の証言などから明らかだが、それだけでは学問的な価値は無いのに等しい。

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