ヒトの生と死は隠せないエビデンスである

  • 2012/08/27(月) 21:55:13

福島原発事故による死者は未だ一人もいないと電力会社の課長が最近公聴会で話したので、国民に対する公式報告だろう。原発の再稼働がある限り、国民に対するこのゼロ数字のプロパガンダは何年も続くであろう。何故なら、交通事故では毎日死んでいるのに、未だ死者ゼロという説明は最も有効な説得手段だから。

もっとも、少しでも放射線が疑われる死亡に際しては、血液や尿の放射線量の測定、あるいはWBCで体内の放射線量を測定すれば関連性が分かるが、ベラルーシのバンダジェスキー医師のようなヒトは日本では出ないような気がする。
というのは現在の日本は原子力村社会であることと、日本人の気質によると思う。気質とは、過酷な自然を経験し、それを乗り越えてきた私たち日本人のDNAには、起きてしまったことを受容する体質が刻まれていて、因果関係の究明より、少しでも生活を良くする方向での策だけを考えるであろう。言葉を換えれば、急場をしのぐ達人でもあるだろう。
欠点は、因果関係を究明しないことから同じ過ちを繰り返すことだ。

しかし、別の角度から考えると今回のような東日本に放射性物質が広範囲に飛散したケースでは4千万人もが影響を受けるので、原因究明がなくても人口動態から明らかにできそうである。

ヒトは生まれ、そして死を迎える。これだけは絶対に隠せない出来事である。
従って、そこに注目して、人口動態の解析を始めた個人が少なからずいる。
それによれば東日本の出産数低下は西日本に較べて顕著であった。死亡数に関しては、東日本も西日本も増加しているが差はまだわずかであるが、放射線の人体への影響があれば次第に明らかな差となって現れてくると信じている。

参考のためにチェルノブイリ原発事故を振り返ってみたい。事故から16年も経過し、1万人を超す甲状腺がんが発生していたのに、この時期まだ甲状腺がんと放射線との因果関係わからないとされていた(因果関係が認められたのは20年後)。原発作業労働者だけが因果関係を認められた。
こういう時代においても、国連事務総長コフィ・アナン氏は2003年ウクライナで開かれた国際会議で、次のように発言した。

「何百万人もの人々がこの惨事による直接的な影響を受け続けている。…事故とその結果によって今なおもたらされている問題の多くを認識している者がわずかしかいないことがとくに気がかりだ。深刻な被害が続いている。少なくとも300万人の子供たちが身体的治療を必要としている。広大な森や農地が汚染されたまま。いくつかの地域では未だに通常レベルをはるかに上回る量の放射能が残っている。人々は今も大きな不安を抱いて暮らし、子供を持つという人生のなかでも最も幸せなはずのことが、新たな不安の種になるのではないかと感じている。この惨事は地球的な問題なのだ。…」

このように16年経って300万人の子供の身体的治療が必要とされている時、事態を正確に把握しているヒトが極めて少なかったことは驚くべきことだと思う。

<<小児甲状腺がん発症の想定は論理的に思考すべきだ | ホーム | 国会図書館からチェルノブイリ被ばく資料全て消える?>>

この記事に対するトラックバック

この記事のトラックバックURL

<<小児甲状腺がん発症の想定は論理的に思考すべきだ | ホーム | 国会図書館からチェルノブイリ被ばく資料全て消える?>>

この記事に対するコメント

この記事にコメントする

管理者にだけ表示を許可する

HOME |